Web2.0のよくわからない点
オープンソースソフトウェアの活用によって開発コストが低くなり、開発スピードも上がるという話なんだけど、
今までは、
暴利をむさぼるマイクロソフト >>越えられない壁>> 清貧なオレたち
という図式だったのが、
オープンソースを使って成り上がる奴ら >越えられそうで越えられない壁> オープンソースに貢献してるのに貧乏なオレたち
という図式に変わり、成り上がった層へのやっかみが起こり、コミュニティが崩壊し、みたいな現象は起こらないのかな。オープンソースソフトウェア開発のコアメンバーになるような優秀な技術者は普通にそれなりの企業のそれなりのポジションに就けるから、みんな余裕を持ってOSSの開発もできるんだろうか。
Web2.0へ向かう時代の流れによって起こる現象の一つは、新たなプチブルジョアというか「中の上」階層の出現だと思うんだけど、エンジニアでない私には、このあたりの感覚がよく分からない。
プチブルがうまく下の人にとってのカリスマになれれば、オレもnaoyaさんみたいになりてーぜ! みたいな人たちのパワーによって彼らは安泰なんだろうか。そう考えれば納得できる気がしてきた。メディアの世界でいえば、そんな感じになりそうなのがイメージできるし。
クイズ
http://www.hatena.ne.jp/1131714295
むしろ答えが知りたい。
白1個:ほかの99個 かな。
■
http://arena.nikkeibp.co.jp/col/20051102/114129/index.shtml
「いじめが起こるのはいじめられる奴がキモいから」的理論展開になってないか?
市民革命で殺された貴族は、本当に死に値する罪人だったのか? 知らんけど。
今後どう纏めていくのか見ものだ。
さらに雑メモ
ユーザーは信用できない←→ラジカルトラスト
Web1.0←→Web2.0
考えが古いということではなく、ラジカルトラストは机上の空論である、という指摘の方が今までの歴史を踏まえており、多くの人を納得させられるだろう。
ラジカルトラストなるものが成立するのには、次のどちらかの条件が必要だと思われる。
・成立する程度の規模のコミュニティである。100人か、1000人か、10000人か?
・成立する程度までしか信頼しない。「いいサービスを提供すれば使う」とかのレベル
で、Radical Trustに関する認識はこういうことでいいのか? 要確認。
「役に立つのが嬉しい。認められたい」
「安心がほしい」
コミュニティ・マーケティングのひとつの動力源といえるロジック
ラジカルトラストは必要だ。
ツールの作者→利用者がそれを使って犯罪や迷惑行為をしても、それを意図して作ったものでなければ、責任を追求される可能性は低い
コミュニティの管理者→利用者がそれを使って犯罪や迷惑行為をすれば、管理責任を追及される
雑メモ
・悪貨は良貨を駆逐する、というロジック
・集めている「口コミ」は悪貨発のものばかりになるかもしれない
・良いモデレーションの元に良貨を集めるというビジネスチャンス
・フォークソノミーは何をソノミってんのか?
・はてブコメントの距離感
メンテ不能の横付けコメント欄
記事部分を編集すれば反応できるか?
はてブコメントは書くが、本体へのアクセスはしないという距離感
→直接言って来る勇気はない連中にヒソヒソ陰口叩かれている感じか
勇気はないことはないが面倒だから直接言わないユーザーもいる
→それはそれで要らんかも
・悪貨は良貨を駆逐する
→ネットの言い合いというのは、ヒマで、無反省で、繰り返し同じことを言うしつこさに勝る方が勝つ。対話による相互理解がなければ、どちらかが根負けして降りることでしか決着できないため
※一方的勝利宣言メソッドとか特殊なのはいろいろあるが
→フォークソノミーは悪貨による悪貨のための分類学になる可能性がある
→サイレントマジョリティの声までを反映させると良いのではないか
→分類者の評価システム
→分類者の評価システムの評価システム→そこまで心配する必要はないと見た
→クリック数のポイントは安易か